七五三は、一生に二回のことですから、わが子、あるいは孫のために、しっかりとお祝いしてあげたいものですね。
七五三と言えば着物に千歳飴のイメージを持たれる方が多いと思います。
一口に着物といいますが、どんなものを着させたら良いのでしょう ?
三歳と七歳では着せるものが違うのでしょうか ?
ここでは、七五三で女の子が着る着物についてざっとまとめて見ました。
そもそも七五三とは何でしょう ?
七五三(しちごさん)とは、数え年で男の子は三歳・五歳、女の子は三歳・七歳の十一月十五日に、神社やお寺に参拝して、子供の成長を感謝し、また祈願する行事です。
それぞれの歳には意味があるのですが、ご存知でしたか ?
三歳 : 髪を剃るのを止めて伸ばし始める「髪置(かみおき)の儀」で、男女共通
五歳 : 初めて袴をつける「袴着の儀(はかまぎのぎ)」で男の子のみ
七歳 : 紐付きの子供用の着物から、大人の装いである本仕立ての着物と丸帯に変える
女の子のみの「帯解(おびとき)の儀」(紐落(ひもおとし)の儀」とも言う)
ポイントは、女の子は三歳では子供の着物、七歳では大人の着物を着るということです。
三歳の着物
三歳ではお腹まわりを帯で締めつけない「三つ身」という着物を着けます。
三つ身の着物は、軽くて薄い生地の兵児帯(へこおび)を蝶々結びにして押さえます。
その上に「被布(ひふ)」という袖なしの上着を重ねます。
もちろん、長襦袢(長じゅばん)や足袋(たび)なども必要ですから、着付けに必要なものをまとめておきますね。
・長襦袢(ながじゅばん)
・着物
・兵児帯(へこおび)
・被布(ひふ) : 着物の上から着るベストのようなもの
・腰紐(こしひも)
・草履
七歳の着物
七歳で着るのは、大人の着物とほぼ同じ作りの「四つ身」になります。
そして、帯は兵児帯(へこおび)に代わって丸帯を用いて大人の装いとなります。
つまり、「帯解(おびとき)」となるのです。
他にも、薄い箱型の小物入れである「はこ迫(はこせこ)」や、帯下に結ぶ志古貴(しごき)という芯のない帯、帯揚げ、ハンドバックなど、必要なアイテムがぐっと増えます。
着付けに必要なものを、まとめておきますね。
名前だけでは分かりにくいものはコメントをつけました。
・肌襦袢
・長襦袢
・裾除け : 腰から足首までを覆う下着で蹴出し(けだし)とも呼ぶ
・足袋
・着物・腰紐(こしひも)
・伊達締め(だてじめ): 長襦袢の上から締める細い帯
・三重紐
・志古貴(しごき) : 帯の下を締める
・帯板(おびいた) : 帯にシワが寄らないようにする板
・帯枕(おびまくら) : 帯の後ろを膨らませる土台
・帯
・帯揚げ : 帯の上に締めて型崩れをふせぐ
・帯締め : 帯がほどけないように帯の上から締める細い紐
・はこ迫(はこせこ) : 小物入れ
・扇子
・ハンドバッグ
・ぽっくり(または草履)
ふだん、着物になじみの薄い私には、「こんなにあるのか!!」という感じです。
さすがに大人の装いに近づくとなると、はんぱではありませんね。
これだけ揃えるとなると、選ぶだけでも大変ですから、貸衣装を利用するご家庭も多いようですよ。
七五三の由来
せっかくですから、七五三の由来についても少し触れておきますね。
起源は、平安時代までさかのぼると言います。
その当時、幼児は男女とも三歳まで頭を青く剃り上げる風習でした。
そして、三歳になってはじめて髪を剃るのを止めて伸ばし始めたのです。
これが「髪置きの儀」の由来です。
「袴の儀」は、江戸時代までさかのぼります。
武士の正装である袴(はかま)を身につけることで、一人前の男として認める儀式として行われていました。
そして、「帯解(おびとき)の儀」は、室町時代にはすでに行われていたと言います。
子供の魂は不安定で、「7歳までは神のうち」と言われていました。
「帯解(おびとき)の儀」は、幅の広い帯を締めることで、定まらずにいる魂をしっかりと留めるという願いが込められた儀式だったのです。
子供の生存率が低かった時代は、7歳まで生きたということが、それだけで 有難い事だったのですね。
もちろん、現代でも子供が無事に成長してくれることは、とても有難いことで、その点は今も昔も変わりありませんが・・・。
十一月十五日になったのはなぜ ?
これらの行事が十一月十五日に定められたのは、江戸時代の五代将軍・徳川綱吉の子供である徳松君の祝いを天和元年十一月十五日に行ったためと言われています。
それ以前は、正月吉日や誕生日などにおこなっていたそうですよ。
おわりに
いかがでしたか ?
七五三の女の子の着物について、この記事がお役に立ちましたでしょうか ?
七五三のお参りも、意味が分かると参拝の際の思いも一入(ひとしお)ではないでしょうか?
最後までお読みくださってありがとうございました。