函館には歌人・石川啄木ゆかりの場所がいくつもあります。
ここでは、その中から3箇所ほどをピックアップしてご紹介したいと思います。
大森浜と啄木公園
函館の実家からものの5分も歩けば海でした。
地元で赤石浜と呼ぶ、函館山のふもと近くにある小さな漁港です。
以前のブログで述べた烏賊(イカ)売りも、この赤石浜で水揚げされたイカを売りにきていたのです。
現在は港もコンクリートで整備されましたが、私が子供のころは、まだ自然のままの部分が多く残っていて、潮だまりで小ガニや小魚などを獲って遊んだものです。
この浜を海岸沿いにしばらく北に向かって(つまり函館山を背にして)すすめば、啄木の碑がある大森浜があります。
海を見つつ湾曲した対岸の湯川まで見渡せるこの場所の碑は、なかなか絵になる素敵なものです。
反対側をみると、啄木の碑が函館山を背景にした形となり、観光的にはこちらの方が有名ですね。
海岸通りを湯川方向に向って車で走ると、右手に啄木の碑が置かれた、啄木小公園があり、ちょっとしたスペースなので、車を止めてしばし景色を眺めてみるのも良いですよ。
夕日が海に沈むころ、夕焼けなら、また格別です。
現在は、近くに土方・啄木浪漫館というのができて、土方歳三と石川啄木にまつわる資料が展示されています。
立待岬
函館には啄木にゆかりのある場所が多く、立待岬もそのひとつです。
立待岬は、函館山の東端に位置し、そこに行くまでの道は狭く、また急こう配なので車で行く場合は気を遣います。
立待岬には、その途中に啄木一族の墓があるのです。
大きな墓で、ファンの人が拓本をとる姿を何度か見かけました。
墓石には、啄木の第一歌集『一握の砂』の第一首
「東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる」
が刻まれています。
立待岬は文字通りの断崖で、下には岩が多く、落ちたらひとたまりもないような場所ですが、今は駐車場も整備されて柵もできているので、安心して遥かな海の景色を楽しむことができます。
水平線に浮かぶ船が、ゆっくりと進んでゆくさまを、時間を忘れて眺めてみるのもたまには良いものです。
天気が良ければ遠く青森・下北半島まで見渡すことができます。
青柳町
もうひとつ、啄木ゆかりの地と言えば、青柳町でしょう。
「函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花」
と詠まれている青柳町は、函館山のふもと近くの谷地頭から市電で一駅の、少し土地の高い場所になります。
啄木が妻子を函館に残して小樽、釧路を変遷したとき、友というより、恩人の宮崎郁雨が妻子の面倒を見たのですが、この歌の友とは宮崎郁雨を指すのではないかと言われています。
ちなみに先に記した啄木一族の墓も、この宮崎郁雨が建てたものです。
おわりに
石川啄木は、1907年5月5に函館に移り住み、8月25日の函館大火で職場を失って札幌に移る前日の9月13日までの3ヵ月あまりを函館で過ごしました。
その間、多数の歌を残しています。
『一握の砂』に出てくる砂浜は、明らかに上に述べた大森浜のことを指しています。
多くの歌を残したことから、短い期間であっても啄木にとっては、じつに濃い時間だったのではないかと思います。
繊細な啄木には、函館の気候や土地の人々の気質が合っていたように思えてなりません。
この記事を読んでくださっているあなたが、啄木に興味をお持ちなら、上記の啄木ゆかりの場所を散策されてみては如何でしょうか ?
きっと感慨深いものがあるかと思います。
最後までお読みくださってありがとうございます。