お彼岸とはいつを言うの ?

 

彼岸花

お彼岸と言えば春と秋の二回ありますね。
いつでしょう ?

それぞれ、春分の日と秋分の日を中心とた前後3日間、合わせて1週間を「春のお彼岸」、「秋のお彼岸」と言います。

 

どうしてこの日なの ?

春分の日と秋分の日は、どちらも昼と夜の時間が同じで、太陽が真西に沈む日です。

仏教では、「極楽浄土」は西方の遥かかなたにあると言われているので、陽が真西に沈む春分の日と秋分の日をお彼岸の中心にもってきたのです。

つまり彼岸の中日(ちゅうにち)ですね。

 

ですから、お彼岸の日は、春分、秋分に合わせて毎年すこしずつ変わるのです。

春分の日はおおむね3月20日か21日、秋分の日は9月22日か23日で、毎年2月1日付の官報に掲載されることになっています。

 

毎年同じ日と決まっていないのは、1年がピッタリ365日ではないからです。

 

彼岸とは ?

「彼岸」とは向こう岸、つまり、三途の川を渡った向こう側で、悟りをひらいた仏様の世界を言います。それに対して、私たちが煩悩をもって住み暮らすこの世を「此岸(しがん)」と言います。

 

お彼岸は、この仏教の考えと、日本にもともとあった祖先を祀る(まつる)という風習がひとつになって、年中行事となったものなのです。

 

陽が真西に沈む彼岸の中日が、この世とあの世がもっとも近づきやすい日と考えて、この日を中心としたのは、なんだか理に適って(かなって)いるような気がしませんか ?

 

彼岸の語源は ?

彼岸という言葉は、サンスクリット語で「完全である」とか、「最高」、「悟りを得た状態」を意味する「パーラミター」からきたものです。

 

この言葉が中国に伝わって漢訳されたときに、「波羅蜜多(はらみった)」となり、やがて同じ意味を持つ「到彼岸(とうひがん)」とも訳されたことに由来しているのです。

 

おまけの知識~お彼岸に供える「ぼたもち」と「おはぎ」のちがいは ?

ぼたもち

どちらも同じようですが、春のお彼岸に供えるのが「ぼたもち」で、秋のお彼岸に供えるのが「おはぎ」です。

 

「ぼたもち」は「牡丹もち」と書き、春に咲く大輪の牡丹になぞらえて大き目に作り、「おはぎ」は「お萩」と書いて、秋に咲くの萩の花になぞらえて小さめに作られます。

 

また、おはぎには「つぶあん」を使い、ぼたもちには「こしあん」を使って区別することもあるようです。

これは、餡(あん)の材料となる小豆が、春は冬を越して皮が固くなっているため「こしあん」として食べやすくし、秋は採れたてなので皮が柔らかいからそのまま「つぶあん」として使うという説です。

 

ちなみに、「おはぎ」や「ぼたもち」は、江戸時代からお彼岸に食されるようになったと言われています。

小豆の赤い色には、災難を防いだり、魔よけの効果があると信じられていたことから、お彼岸に使われるようになったそうです。

 

おわりに

いかがでしたか ?

お彼岸の由来や日にちが年によって変わる理由がお分かり頂けたと思います。

 

日本人は仏教の思想を取り入れて、それに独自の祖先を敬い、感謝して祀る習慣を結び付けてお彼岸の風習を生み出しました。

 

祖先がいたからこそ、今の自分がいる。そんな感謝のき持ちを持ち続けていたいものですね。

 

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節分の豆まきの由来は ?

節分の豆と桃

2月3日は節分。豆まきをする家も多いと思います。

でも、どうしてこの日に豆まきをするのでしょう ?

気になったので、調べてみました。

 

今回は節分と豆まきの由来についてお届けします。

 

節分の起源

2月3日は立春の前日です。

もともとは、立春、立夏、立秋、立冬の季節の変わる前日を「節分」と呼びました。

それがいつのまにか立春の前日だけが、「節分」として残ったのです。

 

ですから、節分の翌日から、暦の上では春なのです。

 

追儺(ついな)とは

一方、古代中国では、大晦日に邪気を払う「追儺(ついな)」という行事が行われていました。これは、鬼の面をかぶった人を桃の木で作った弓矢で射って追い払うというものです。

ちなみに中国では、桃の木は邪悪なものを払う神聖な木と考えられていたのです。

 

この行事が奈良時代に日本に伝えられ、やがて旧年の災いを祓い清める宮中の行事として「追儺(ついな)」が定着したと言われています。

 

ですから、「追儺(ついな)」はもともと大晦日の行事だったのです。
これが、新しい年の始まりは春からということで、節分の行事に変わったとされています。

そして、鬼は打ち払うべき邪気や災難の象徴なのです。

 

なぜ「豆」なの ?

中国では鬼を払うのに桃の木で作った弓矢を使いましたが、どうして日本では「豆」に変わったのでしょう。

それにはいくつか説があるようです。

 

もともと、米、麦、豆、稗(ひえ)、粟(あわ)の五穀には、邪気を払う霊力があると信じられていたことと、もうひとつは、「鞍馬の鬼」の伝説に由来していると言うものです。

 

昔、京都の鞍馬に鬼が出現したとき、神様のお告げに従って大豆を鬼の目に投げつけたところ退治できたと言う伝説です。

このあたりから、「鬼退治には豆」を用いるというのが定着したようです。

また、豆は「魔滅(まめ=魔を滅する)」にも通ずると考えられたようです。

鬼現る

どんな豆を使うの ?

豆なら、何でもよいのでしょうか ?

いいえ。炒った豆でなくてはいけません。

つまり、「炒る」=「射る」につながることから、鬼退治には炒った豆を使うのが鉄則なのです。

また、生の豆だと、拾い忘れて芽がでると邪気がついた豆が根付くと考えて、縁起が悪いとされたことにも由来しています。

 

この炒った豆を「福豆」と言い、年の数だけ食べれば、邪気を追い払って健康に過ごせると考えられてきました。

年の数だけ体に取り入れることで、その年数分の邪気を払って、次の年も健康で幸せに過ごせるようにと言う願いを込めているのです。

 

まとめ

いかがでしたか ?

五穀に霊力が宿って邪気を追い払うという考えから、私たちの祖先がいかに食べ物の大切にして有難くいただいてきたかということが伺えますね。

節分の由来や豆を食べる理由が分かると豆まきも何だか気合いが入りませんか ?

 

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ひな祭りの由来 桃の花を飾るのはなぜ ? 婚期との関係は ?

お雛様

 

 

 

 

 

三月三日は「ひな祭り」。桃の節句ですね。

どうして三月三日なの ?

ひな人形を早く片付けないと婚期が遅れる?

 

こんな、ひな祭りにまつわる疑問にお答えします。

 

ひな祭りの由来

古代中国には、三月最初の巳の日(みのひ)に川に入って身を清める、上巳節(じょうしせつ)と言う行事がありました。

 

巳の日(みのひ)は十二支のひとつですから、十二日ごとにやってくるので、毎年日にちが変わっていました。

それが、魏の時代に三月三日に固定されたと言われています。

 

この上巳節(じょうしせつ)が日本に伝わって貴族の女の子の遊びである「ひいな遊び」とつながって「ひな祭り」ができたのです。

 

「ひいな遊び」とは、紙やワラなどで作った人形遊びのことで、平安時代に書かれた「源氏物語」にも「ひいなあそび」として登場しています。

 

もともと身を清める行事に由来しているので、ひな人形に子供の穢れ(けがれ)を移して川や海に流していたのです。
現代でも、「流しびな」を行う地方があるようですよ。

 

そして、江戸時代に入ってから庶民の間に広まって、次第に人形を飾る現代の「ひな祭り」の形ができていたと言われています。

 

ひな祭りに桃の花を飾るのはなぜ ?

ひな祭りには桃の花を飾りますが、何か意味があるのでしょうか ?
ちょうど桃の花の季節だからでしょうか ?

 

じつは、こちらも中国から伝えられたもので、古代中国では桃の木は、邪悪なものを打ち払う神聖な木と考えられていたのです。

そこで、子供の穢れを払って健やかに育ってほしいという願いを込めて、桃の花を飾るのです。

桃の花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひな祭り 婚期との関係は ?

ひな祭りが終わったら、ひな人形はすぐに片づけるもので、出しっぱなしにしていると女の子の婚期が遅れると言われていますね。

 

どうしてでしょうか ?

これには、いくつか説があります。

 

戒め(いましめ)
きちんと片づけができないような娘は結婚できないよ、と言う戒め(いましめ)のために言われたと言う説。

掛けことば説
昔、嫁ぐことを片付く(かたづく)と言ったことから、 早く片付けないと、早く嫁げないと言われるようになったと言う説。

災厄説
もともと子供の穢れ(けがれ)をひな人形に移して流したものなので、片づけないと穢れ(けがれ)が残ってしまうと考えられたと言う説。

 

じっさいのところは、婚期には影響ありませんので心配は無用です。

でも、人形を愛でて(めでて)子供の成長を祝ったあとは、きれいに手入れをしてしまってあげるのが良いですね。

 

おわりに

ひな人形、桃の花、いかにも女の子の節句にふさわしいですね。

子供の健やかな成長を祝い、そして願う機会として、大事にしてゆきたいものです。

 

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冬至にかぼちゃを食べるのはなぜ ?

冬至のかぼちゃ 

冬至の行事と言えば、かぼちゃを食べて、柚子湯(ゆずゆ)に入る。
日本にはこんな習慣がありますが、どうして冬至にかぼちゃを食べて柚子湯に浸かるのでしょうか ?

そこにどんな意味があるのか探ってみました。

冬至とは

冬至とは、北半球で日照時間がもっとも短くなる日を言います。
つまり、太陽の力がもっとも弱い日なのです。

日本ではだいたい12月21日ころが相当します。
なぜ、「ころ」かって ?

それは地球の公転周期が365日ピッタリではなく、5時間48分45秒ほどズレているからです。
そのため、冬至の日は毎年少しずつズレるのです。だから、12月21日「ころ」となるのです。

冬至が太陽の力がもっとも弱いとすると、翌日からはだんだんと強くなる、つまり日が長くなります。そこから再び力がよみがえると考えて欧米でも古くから冬至をお祝いしてきました。

 

「一陽来復(いちよう らいふく)」と「運盛り」

再び力がよみがえることを「一陽来復」と言います。
つまり、陰が極まって再び陽にかえるということで、冬至はその日を境にして運気が上昇すると考えられているのです。

そこで、この日、つまり冬至に「ん」のつくもを食べると「運」が付くと言われるようになりました。

これを「運盛り」と言います。

「ん」のつく食べ物とは、にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかんなどで、かぼちゃもそのひとつなのです。

ん ? かぼちゃには「ん」はありませんね。
いえいえ、かぼちゃは感じで書くと「南瓜」で、「なんきん」と読みます。

 

これが冬至にかぼちゃを食べる由来なのです。

 

どうしてかぼちゃだけ ?


「ん」の付く野菜は他にもあるのに、どうして特にかぼちゃなのでしょう?

 

それは、昔は保存の技術がなく、冬まで取っておける野菜が少ないなか、かぼちゃは夏野菜なのに長期保存がきいたからなのです。

 

かぼちゃを食べるとどんな効果があるの ?

では、かぼちゃを食べるとどんな効果があるのでしょうか ?

かぼちゃにはビタミンAのもととなるベータカロチンが豊富に含まれています。
ベータカロチンは、皮膚や粘膜を強くして免疫力を高める働きがあります。

ですから、冬至にかぼちゃを食べることで風邪を引きにくくする効果があるのです。

 

その上、ベータカロチンには強い抗酸化作用があるので、細胞の老化を抑えてくれる上、抗がん作用もあると言われています。

かぼちゃには、さらに視力低下や目の病気を良くする効果があるルテインという栄養素も含まれています。

かぼちゃの効能、侮れ(あなどれ)ませんね。

 

冬至にかぼちゃを食べるのは、単なる縁起担ぎだけではなく、ちゃんと意味があったのですね。

 

柚子湯(ゆずゆ)

柚子湯

冬至のもうひとつの行事である柚子湯にも触れておきますね。

柚子湯は、湯船に柚子の果実を浮かべて入浴するものですが、こちらは、身を清めるために行われるようになったと言われています。

 

柚子の強い香りが邪気を払うと考えられたのです。

先に述べた「一陽来復」の日に柚子湯で身を清めてから運気を高めようということなのです。

 

柚子湯には効能はあるの ?

柚子の皮の部分には、ヘスペリジンというポリフェノールの一種が多く含まれています。
ヘスペリジンには、血行を促進して冷え性を改善し、体を温める効果があるのです。

ですから、柚子湯に浸かることで風邪を予防する効果が期待できるのです。

加えて心地よい香りによるリラックス効果もありますから、身を清める意味だけでなく、とても実用的と言えますね。

 

まとめ

いかがでしたか ?

冬至にかぼちゃを食べて柚子湯に浸かる。

意味が分かると、冬至がさらに楽しいものになりますね。

 

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七夕まつりの飾り・短冊の由来は ?

七夕ロマン

七月七日は七夕まつり。
竹に飾りを付けて、短冊に願い事を書きますね。

この習慣はどのようにしてできたのでしょう ?
どうして短冊を飾り付けるようになったのでしょうか ?

ちょっと調べてみましたのでご紹介します。

 

七夕の由来

織姫と牽牛の話はだれでも知っていますね。

天帝の娘の織姫(織女)は、いつも天帝の衣を作るために機織り(はたおり)に精を出していました。楽しみのないことを不憫(ふびん)に思った天帝が、働き者の牽牛に嫁がせたところ、二人は大変幸せに暮らすようになりました。

しかし、幸せのあまり二人はまったく働かなくなってしまったため、天帝が怒って二人を天の川で隔ててしまった。

すると今度は二人があまりに嘆き悲しむので、年に1度天の川を渡って会うことを許した。

これが七夕伝説ですが、この話はじつは中国から渡ってきたものなのです。

一方、日本には、祖先の霊を祀る前夜祭として、七月七日に乙女が人家を離れた機屋(はたや)で神を祀り、穢れを持ち去ってもらうという行事がありました。

この星伝説と、日本の盆の行事が混ざり合って七夕の行事になったと言われています。

七夕は、元は「棚機」と書いて「たなばた」と読んだそうです。
「棚機」は、「神衣(かむみそ)」と呼ぶ神様に捧げる布を織る機械のことです。

中国の星伝説と日本のお盆の行事が、共通の「機織り」を軸として結びついたのではないでしょうか ?

 

七夕飾りの短冊の由来は ?

さて、それでは七夕飾りの短冊にはどんな由来があるのでしょうか ?

短冊は七夕飾りの主役ですね。

もともとは、裁縫や手芸の上達を願って、宮中では糸を供えていたと言います。

しかし、昔は糸が高価だったため、一般に広まるようになってからは、代わりに紙を細く切って供えるようになったのです。

その短冊に願い事を書くようになったのは、江戸時代に、寺子屋で書の上達のために子供たちに書かせたのが始まりとも言われています。

 

なぜ短冊を竹につけるの ?

短冊は、竹や笹に飾り付けますね。
どうして竹や笹を使うのでしょう ?

これは、もともと日本には、五つの節句があって、七月七日は五節句のひとつである「竹の節句」に当たることに由来しているのです。

 

でも、それだけではないようです。
竹は生命力が高く、成長が早いことから、古来より神聖なものと考えられてきました。
また、笹には殺菌作用があることから魔除けになると考えられてきたのです。

これらのことと竹の節句がからみ合って、願いを書いた短冊を飾るのに、竹が使われるようになったようです。

 

おまけ

せっかくですから、五節句をあげておきますね。

季節の節目に宮中で行われていた年中行事を、江戸時代に幕府が定めたのが次の五節句です。

・1月7日:人日(じんじつ) 七草の節句

・3月3日:上巳(じょうみ) 桃の節句

・5月5日:端午(たんご)  菖蒲の節句

・7月7日:七夕(しちせき) 竹の節句

・9月9日:重陽(ちょうよう)菊の節句

 

まとめ

日本古来の祖先の霊を祀る行事と中国の星伝説が結びついてできた七夕の風習。
神聖な願いとロマンの融合とも言えますね。

そんなことを思うと七月七日は一層興味深く過ごせそうな気がしませんか ?

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