蟹といえば、北海道では大抵毛ガニを指します。
もちろん、タラバガニや花咲ガニもおいしいですが、毛ガニは身が柔らかく味が濃厚で北海道人がもっとも食べ慣れているのはこれではないかと・・・私の偏見かもしれませんが。
特にそのカニみそは、タラバガニやズワイガニでは味わえない、毛ガニ特有の濃厚な味わいがあります。
「カニを食べると無口になる !」
と言われるほど、食べ始めたらもう一心に、むさぼるように食べます。
ここでは、おいしい毛ガニの選び方についてご紹介しますね。
蟹といえば、北海道では大抵毛ガニを指します。
もちろん、タラバガニや花咲ガニもおいしいですが、毛ガニは身が柔らかく味が濃厚で北海道人がもっとも食べ慣れているのはこれではないかと・・・私の偏見かもしれませんが。
特にそのカニみそは、タラバガニやズワイガニでは味わえない、毛ガニ特有の濃厚な味わいがあります。
「カニを食べると無口になる !」
と言われるほど、食べ始めたらもう一心に、むさぼるように食べます。
ここでは、おいしい毛ガニの選び方についてご紹介しますね。
これからスキーにチャレンジしたいと考えているあなた。
あなたがもし、バイクに乗る方でしたら朗報です。
バイクに乗っている人は間違いなくスキーも上手くなります !
逆に、スキーの上手い人ならばいの免許も取りやすいのです。
ここではバイク乗りはスキーが上手くなる理由についてご説明したいと思います。
スーパーなどのお魚売り場で、トラウトサーモンが売られていますね。
鮭と同じコーナーに置かれていますし、見た目も「鮭」ですよね。
でも、トラウトサーモンは「鮭」とは違うのです !
「銀鮭」や「紅鮭」のように「鮭」の一種と思って食べている方が多いと思います。
アナタは如何ですか ?
じつは、私もトラウトサーモンは「鮭」の一種だと思っていました。
だって、「サーモン」ですから、名前から見たら「鮭」ですよね。
そうなんです。
トラウトサーモンは、本当はマスの仲間なんです。
それでは鮭とマスの違いは何でしょう ?
生物学的には、大きな違いはありません。
なんだ、やっぱり同じか・・「鮭」=「マス」 ?
いえいえ、違いはあるのです。
それは、生活の仕方にあるのです。
「鮭」が海で生活して、繁殖のために生まれ故郷の川にもどることは良く知られていますね。
そうです。海に下るのが「鮭」なのです。
「マス」は一生を川で過ごし、海に出ることはありません。
トラウトサーモンとは、じつは、海で養殖されたニジマスなのです。
本来川で一生を終えるはずのニジマスが、人の手で海に連れてこられて養殖されて、トラウトサーモンとして食べられているのです。
マスにとっては迷惑な話ですよね。
ちなみにトラウトサーモンは、トラウト = マスと、サーモン = 鮭をつなげて作られ名前で、「マス鮭」という、よくわからない意味になっています。
これ、商品名だったのです。
鮭もトラウトサーモンも、身は赤またはピンクですよね。
でも、じつは白身魚なんです。
この身の赤い色は、食べるエサによって成長とともに着いたものなのです。
エビやカニ、オキアミなどを餌にしているうちに、殻に含まれるアスタキサンチンという色素によって次第に赤くなると言われています。
ですから、稚魚のうちは、まだその身は赤くなっていないのです。
私の実家では「シャケ」と呼んでいました。
「シャケ」と言う呼び名は、どこから来たのでしょう ?
江戸弁では「サ行」の発音がうまくできないために「シャケ」になったとも、アイヌ語のマスを意味する「サクイベ」や「シャケンベ」から来たとも言われていますかが、じつは本当のところは分かっていないようです。
いかがでしたか ?
トラウトサーモンと鮭の違いがお分かりいただけたと思います。
疑問が解消したところで、その命に感謝しておいしくいただきましょう !
最後までお読みくださってありがとうございます。
この記事がお読みくださったあなたの役に立てばうれしいです。
函館には歌人・石川啄木ゆかりの場所がいくつもあります。
ここでは、その中から3箇所ほどをピックアップしてご紹介したいと思います。
函館の実家からものの5分も歩けば海でした。
地元で赤石浜と呼ぶ、函館山のふもと近くにある小さな漁港です。
以前のブログで述べた烏賊(イカ)売りも、この赤石浜で水揚げされたイカを売りにきていたのです。
現在は港もコンクリートで整備されましたが、私が子供のころは、まだ自然のままの部分が多く残っていて、潮だまりで小ガニや小魚などを獲って遊んだものです。
この浜を海岸沿いにしばらく北に向かって(つまり函館山を背にして)すすめば、啄木の碑がある大森浜があります。
海を見つつ湾曲した対岸の湯川まで見渡せるこの場所の碑は、なかなか絵になる素敵なものです。
反対側をみると、啄木の碑が函館山を背景にした形となり、観光的にはこちらの方が有名ですね。
海岸通りを湯川方向に向って車で走ると、右手に啄木の碑が置かれた、啄木小公園があり、ちょっとしたスペースなので、車を止めてしばし景色を眺めてみるのも良いですよ。
夕日が海に沈むころ、夕焼けなら、また格別です。
現在は、近くに土方・啄木浪漫館というのができて、土方歳三と石川啄木にまつわる資料が展示されています。
函館には啄木にゆかりのある場所が多く、立待岬もそのひとつです。
立待岬は、函館山の東端に位置し、そこに行くまでの道は狭く、また急こう配なので車で行く場合は気を遣います。
立待岬には、その途中に啄木一族の墓があるのです。
大きな墓で、ファンの人が拓本をとる姿を何度か見かけました。
墓石には、啄木の第一歌集『一握の砂』の第一首
「東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる」
が刻まれています。
立待岬は文字通りの断崖で、下には岩が多く、落ちたらひとたまりもないような場所ですが、今は駐車場も整備されて柵もできているので、安心して遥かな海の景色を楽しむことができます。
水平線に浮かぶ船が、ゆっくりと進んでゆくさまを、時間を忘れて眺めてみるのもたまには良いものです。
天気が良ければ遠く青森・下北半島まで見渡すことができます。
もうひとつ、啄木ゆかりの地と言えば、青柳町でしょう。
「函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花」
と詠まれている青柳町は、函館山のふもと近くの谷地頭から市電で一駅の、少し土地の高い場所になります。
啄木が妻子を函館に残して小樽、釧路を変遷したとき、友というより、恩人の宮崎郁雨が妻子の面倒を見たのですが、この歌の友とは宮崎郁雨を指すのではないかと言われています。
ちなみに先に記した啄木一族の墓も、この宮崎郁雨が建てたものです。
石川啄木は、1907年5月5に函館に移り住み、8月25日の函館大火で職場を失って札幌に移る前日の9月13日までの3ヵ月あまりを函館で過ごしました。
その間、多数の歌を残しています。
『一握の砂』に出てくる砂浜は、明らかに上に述べた大森浜のことを指しています。
多くの歌を残したことから、短い期間であっても啄木にとっては、じつに濃い時間だったのではないかと思います。
繊細な啄木には、函館の気候や土地の人々の気質が合っていたように思えてなりません。
この記事を読んでくださっているあなたが、啄木に興味をお持ちなら、上記の啄木ゆかりの場所を散策されてみては如何でしょうか ?
きっと感慨深いものがあるかと思います。
最後までお読みくださってありがとうございます。
お彼岸と言えば春と秋の二回ありますね。
いつでしょう ?
それぞれ、春分の日と秋分の日を中心とた前後3日間、合わせて1週間を「春のお彼岸」、「秋のお彼岸」と言います。
春分の日と秋分の日は、どちらも昼と夜の時間が同じで、太陽が真西に沈む日です。
仏教では、「極楽浄土」は西方の遥かかなたにあると言われているので、陽が真西に沈む春分の日と秋分の日をお彼岸の中心にもってきたのです。
つまり彼岸の中日(ちゅうにち)ですね。
ですから、お彼岸の日は、春分、秋分に合わせて毎年すこしずつ変わるのです。
春分の日はおおむね3月20日か21日、秋分の日は9月22日か23日で、毎年2月1日付の官報に掲載されることになっています。
毎年同じ日と決まっていないのは、1年がピッタリ365日ではないからです。
「彼岸」とは向こう岸、つまり、三途の川を渡った向こう側で、悟りをひらいた仏様の世界を言います。それに対して、私たちが煩悩をもって住み暮らすこの世を「此岸(しがん)」と言います。
お彼岸は、この仏教の考えと、日本にもともとあった祖先を祀る(まつる)という風習がひとつになって、年中行事となったものなのです。
陽が真西に沈む彼岸の中日が、この世とあの世がもっとも近づきやすい日と考えて、この日を中心としたのは、なんだか理に適って(かなって)いるような気がしませんか ?
彼岸という言葉は、サンスクリット語で「完全である」とか、「最高」、「悟りを得た状態」を意味する「パーラミター」からきたものです。
この言葉が中国に伝わって漢訳されたときに、「波羅蜜多(はらみった)」となり、やがて同じ意味を持つ「到彼岸(とうひがん)」とも訳されたことに由来しているのです。
どちらも同じようですが、春のお彼岸に供えるのが「ぼたもち」で、秋のお彼岸に供えるのが「おはぎ」です。
「ぼたもち」は「牡丹もち」と書き、春に咲く大輪の牡丹になぞらえて大き目に作り、「おはぎ」は「お萩」と書いて、秋に咲くの萩の花になぞらえて小さめに作られます。
また、おはぎには「つぶあん」を使い、ぼたもちには「こしあん」を使って区別することもあるようです。
これは、餡(あん)の材料となる小豆が、春は冬を越して皮が固くなっているため「こしあん」として食べやすくし、秋は採れたてなので皮が柔らかいからそのまま「つぶあん」として使うという説です。
ちなみに、「おはぎ」や「ぼたもち」は、江戸時代からお彼岸に食されるようになったと言われています。
小豆の赤い色には、災難を防いだり、魔よけの効果があると信じられていたことから、お彼岸に使われるようになったそうです。
いかがでしたか ?
お彼岸の由来や日にちが年によって変わる理由がお分かり頂けたと思います。
日本人は仏教の思想を取り入れて、それに独自の祖先を敬い、感謝して祀る習慣を結び付けてお彼岸の風習を生み出しました。
祖先がいたからこそ、今の自分がいる。そんな感謝のき持ちを持ち続けていたいものですね。
最後までお読みくださってありがとうございます。
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